行事解説 

お彼岸

春分の日を中日として前後3日、計7日間を
「春のお彼岸」「春彼岸」と言います。
また、秋分の日を中日として前後3日、計7日間を
「秋のお彼岸」「秋彼岸」と言います。

元々「彼岸」とは、
私たちの輪廻(生まれ変わり死にかわり)
する迷いの世界「此岸」に対し、
「彼の岸(向こうの世界)」を意味し、
この時期は「彼の岸」にいるご先祖さまたちに
想いを馳せると共に、自らも来世で
ご先祖さまたちと同じ「彼の岸」に
行けるように願っていく期間とされます。

「彼の岸」とは
仏教において「悟りの世界」を指しますが、
浄土宗では、「西方極楽浄土」を指す言葉として
多く用いられます。

多くの経典において、「此岸」には
地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道
という六つの世界があり、
私たちはこの六つの世界を
輪廻し続けて、現在、
さまざまな前世の縁によって
「人道(人間として生きる道)」
に生まれた存在とされています。

「六道」の世界とは以下のような
世界と伝えられます。

地下牢獄で苦しみを受け続ける世界「地獄道」
飢餓に苦しむ世界「餓鬼道」
動物・虫・魚など、人間以外の生き物の世界「畜生道」
争いによって苦しみと怒りが絶えない世界「修羅道」
私たちの生きる人間の世界「人道」
苦しみが比較的少ない天人の世界「天道」

人間の世界にさまざまな苦しみや
悲しみが存在するように、
これら六つの世界、それぞれに
多くの苦しみが存在すると言われています。

この永遠と続く「六道輪廻」を
抜け出す方法は大きく分けて、
・現世で悟りを開く
・往生する
の二種類があるとされます。

このどちらの方法に重きをおくかは
宗派によって異なりますが、
浄土宗では「往生する」ことを
願う宗旨です。

「往生する」とは、現世での生を終えた後、
「西方極楽浄土」という阿弥陀仏の開いた世界に
生まれることを指します。

「西方極楽浄土」とは、
西のはるか彼方にある阿弥陀仏
という仏さまの世界です。
そこは苦しみがなく、
楽が溢れた理想的な世界と
お経に説かれています。

法然上人が師と仰ぐ
中国の「善導大師」は、「お彼岸の中日にあたる
春分・秋分の日には太陽が真西に沈むため、
その先にある西方極楽浄土に思いを馳せ、
往生の想いを新たにするのに
適切な日である」と説かれました。

このように、
西の方角へと沈んでゆく夕日を観て、
その彼方にある「西方極楽浄土」
を思い描くことは「日想観」と
呼ばれ、仏教における一つの修行として
位置付けられます。

春分の日と秋分の日を
中日としたお彼岸の期間は、
まさにこの「日想観」を行うのに
最適な時期であると考えられているのです。

また、『無量寿経』というお経によると、
極楽浄土へ生まれ変わることを
心から願い「南無阿弥陀仏」とお念仏を
唱えた者は、臨終の後、
その世界に生まれることが
できると説かれています。
これより、浄土宗におけるお彼岸は、
西方極楽浄土を想い、
そこへ往くための修行である
お念仏をとなえる期間としています。

自らの死後を想い、
「南無阿弥陀仏」と念仏を称え、祈ることこそが、
浄土宗の最も要な信仰であると言えます。

また、お彼岸は
自身の極楽浄土への往生を願うだけでなく、
極楽浄土にいる亡くなった方々に
感謝を伝える期間でもあります。

お彼岸の時期には、
「ぼたもち」や「おはぎ」を作って、
それをお供えする風習が日本各地で見られます。
これらに使われている砂糖やあずき、米などは、
今でこそ一般的に流通していますが、
昔はいずれも大変貴重な食材でした。
それらを使った「ぼたもち」や「おはぎ」を
故人に手向けることで、
感謝の気持ちを伝えるという由来があるようです。

「彼岸」という言葉は元々仏教が由来ですが、
仏教発祥の地であるインドや日本以前に
仏教が伝わった中国には行事としてのお彼岸はなく、
日本独自のものであるとされています。
古くから日本人は、お彼岸という期間を大切にして、
さまざまな方法で故人に対する
感謝の気持ちを表現し、供養してきたのです。

私たち自身、この「お彼岸」の時期は、
お墓を掃除したり、仏具を掃除したりして、
ご先祖さまへの感謝を忘れないように
過ごしていきましょう。