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【第3回】釈迦の悟り(縁起) ー2500年前の初期仏教ー

お釈迦さま(以下敬称略)の悟った内容に関して、前回は「四諦・八正道」を取り上げましたが、今回は「縁起(えんぎ)」を解説してみようと思います。

前回までの記事でも述べたように、釈迦は「苦しみ」という感情から脱する方法を見つけることを目的に生きた人間です。そのため、多くの時間の中で、苦しみという感情が起こるのは何故かを自問し続けました。釈迦は、瞑想をして、自分の心の動きをじっと観察することで、苦しみが起きる12の過程を悟りました。それが「十二縁起(じゅうにえんぎ)」です。

十二縁起

1、無明(根本原因)

まず、苦しみの根本的な原因は「無明(むみょう)」です。「明るく無い」と書きますが、これは「世の真実を見れずに目が曇っている状態」を指します。「世の真実」というのは、前回の記事でも解説した通り、「この世のものは全て移ろい変わり、永遠の存在はないという現実」です。このような真実を知識として理解していても、体得することができない目の曇りが「無明」であり、根本的な原因であるとされています。

2、行(無明によって行が生ずる)

「無明」という曇った状態にもかかわらず、自分の価値観に囚われながら何かをしてやろうと意思作用を起こしてしまう。

3、識(行によって識が生ずる)

「行」によって、私の迷った認識(心)が生まれる

4、名色(識によって名色が生ずる)

「識」に応じて、言葉を用いて人間独自に物事(色)を分類分けする。物事(色)に名前をつける(例:これは石で、これはダイヤモンド)

5、六処(名色によって六処が生ずる)

六つの認識器官(目・耳・鼻・舌・触覚・心)で「名色(名付けた物事)」を識別するようになる

6、(六処によって触が生ずる)

「六処」の認識器官が物事に触れる(例:あ、ダイヤモンドだ)

7、(触によって受が生ずる)

「触」れることで、その物に対して、感受性を発揮する。そのもの自体には何も引き起こす要素はないけれど、人間の心が勝手に好き嫌いを生み出す(例:ダイヤモンド綺麗だな)

8、(受によって愛が生ずる)

「受」によって、感受性を発揮し、愛着が湧き、欲しくなる(例:ダイヤモンド欲しいな)

9、(愛によって取が生ずる)

「愛」によって絶対に手放さないぞ、絶対に手に入れるぞ、という執着が起こる(例:ダイヤモンドを手に入れよう)

10、(取によって有が生ずる)

「取」によって、「あれを手に入れるぞ」と外界のものを手に入れようとする「生き物の有り方」そのものが「有」

11、(有によって生が生ずる)

その「有」り方から、この私の「生き方」がつくられる

12、老死(生によって老死が生ずる)

このような煩悩に振り回される「生」き方をした結果、老いや死に悲しみを覚える

まとめ

以上が十二縁起の内容になります。縁起の詳細な内容に関しては、仏伝において鮮明には語られていないため、現在でも諸説あります。今回は、ある初期仏教学の大学者の読み解く「十二縁起」の解説を使わせていただきました。

十二縁起の最も大切なことは、全ての苦しみの根本的な原因は「無明」であり、一種の煩悩である「無明」によって、私の心や感情が造られているということです。釈迦が自分の心の動きを観察して発見したものが「十二縁起」という心の動きなのです。

「瞑想」というと、「無心」のように、心の動きをピタッと止めるという印象がありますが、本来はそうではありません。外部の情報(匂いや音や自分の中の感情)から気持ちに惑わされずに、一点に集中することを瞑想と言います。つまり、「心を止めるのが瞑想」ではなく、「思考するのが瞑想」です。ゲームをしている子供などがその良い例で、余計な雑念がそこにはありません。そのような集中力を自分の中へと向けることが釈迦の行った瞑想であると言えます。

釈迦は「自分がこの感情になっている原因はなんなのか」「なぜ自分は苦しむのか」を探る瞑想をひたすら繰り返しました。自分の苦しみと静かに集中して向き合った末に、四諦・八正道や縁起の思想を見出したのです。

いずれにしましても、初期仏教(根本仏教)は難解なものが多いですが、とにかく面白い思想・哲学です。これらの記事が仏教への理解を深めていただく一助となれば幸いです。

ちなみに、日本に仏教が伝わる過程で「末法思想」という思想が生まれ、「人間は煩悩を断ずることはできない」という見解が広まりました。法然上人が開かれた「浄土宗」は、この思想の大いに受け継いでその思想を展開しています。これらについても順を追って解説できればと思います。


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