【第2回】釈迦の悟り(四諦・八正道) ー2500年前の初期仏教ー
釈迦は29歳の時、「苦しみ」という存在の滅し方を求めて出家し、35歳の時、その答えを見つけて「悟り」を開きました。釈迦が悟りを開いた後、初めて他人に説いた教え(初転法輪)の内容は、「四諦(したい)」と「八正道(はっしょうどう)」の教えであったとされています。
◯四諦
四諦の「諦」とは「真理」を指し、「四つの真理」という意味です。
四つの真理を区別すると、苦・集・滅・道となり、その内容は以下の通りです。
1、苦「生きることは苦である」
人間の世は苦しみで溢れており、主に「四苦八苦」の苦しみが存在すること。
「四苦八苦」とは以下の八つを指します。
「生」苦の世界に生まれる苦しみ
「老」老いる苦しみ
「病」病にかかる苦しみ
「死」死ぬ苦しみ
「愛別離苦」愛する人と別れる苦しみ
「怨憎会苦」恨み、憎んでいる相手と会わなければならない苦しみ
「求不得苦」求めるものが得られない苦しみ
「五蘊盛苦」身体・感覚・概念・心で決めたこと・記憶などに執着する(とらわれる)ことの苦しみ
2、集「苦しみには原因がある」
苦の原因となるのは、自分のうちにある欲望(煩悩)であること。例えば、「もっと若くいたい」と思うからこそ人は「老」に苦しみ、「もっと生きたい」と思うからこそ「死」に苦しみます。このような「〜したい」という考え方によって、人は苦しみを引き起こすとされます。
3、滅「煩悩を滅すれば、苦しみがなくなる」
欲望を滅すれば、苦がなくなり、「悟り」の状態となること。
4、道「煩悩を滅するための八つの方法がある」
欲望を滅するためには「八正道(八つの正しい修行)」と呼ばれる正しい生活をしなければならないこと。
以上のように、「四諦」とは人生における苦しみの原因とその解決法、そしてそれを実践する方法についての教えです。
◯八正道
1、正見(しょうけん):正しい見方
正見とは、この世の本来の有り様を見ることを指します。
2、正思(しょうし):正しい思考
正思とは、「正見」に基づいて、合理的に考えることを指します。
3、正語(しょうご):正しい言葉遣い
正語とは、「正見」に基づいて、正しい言葉を使うことを指します。他人に誤ったことを伝えないためでもありますが、自分の使う言葉に影響されて自分自身の心が汚染されないようにするためでもあります。
4、正業(しょうごう):正しい行為
正業とは、「正見」に基づいて、「殺生」や「盗み」など、仏教の戒律(信者が守るべきルール)において「悪」とされる行為を行わないことを指します。
5、正命(しょうみょう):正しい生活
正命とは、「正見」に基づいて、道徳に反する行動はせず、正当ななりわいを持って生活を営むことを指します。
6、正精進(しょうしょうじん):正しい努力
正精進とは、「正見」に基づいて、悪いことをせず、善いことを行えるよう努力することを指します。
7、正念(しょうねん):正しい記憶
正念とは、「正見」に基づいて、一心に釈迦の教えを意識し続け、邪念を起こして乱されることのないようにすることを指します。
8、正定(しょうじょう):正しい精神統一
正定とは、「正見」に基づいて、瞑想によって揺れ動く気持ちを安定させ、精神統一することを指します。
これら八正道の修行法に従い、悟りを目指すというのが、釈迦の最初の説法の内容でした。
特に、最初にある「正見」は、「八正道」の中でも最も基本的で重要なこととされています。「正見」の指す「この世の本来のあり様」とは、「諸行無常(しょぎょうむじょう)」であり、「すべての存在が常に変化し、永遠に続くことがない」と言う現実です。
例えば、自分のお気に入りのコップがあったとします。このお気に入りのコップも「永遠には形を保てずにいつかは形を変える」という現実を正しく見ていれば、コップが割れてしまっても悲しむことはありません。しかし、「正見」をせずにこれを見ると、大切なコップが割れてしまったことに囚われ、悲しみ(苦しみ)を覚えます。これは「コップが永遠に割れないでほしい」と考えてしまう人間の欲望・煩悩が原因であると釈迦は考えたのです。
同様に、人間の感情や思考も同じく変化し続けています。一瞬一瞬過ぎ去っていく時間の中で、私たちは喜びや悲しみ、怒りや苦しみといった感情を体験しています。しかし、これらの感情もまた、時間の経過とともに変化し、永遠に続くことがありません。全ての存在が変化していく世界で、変化している存在の「一瞬の形」に捉われてしまうのが人間であって、そこから脱しようとした存在が釈迦です。すべての存在に対して愛着や執着を持たず、すべてを平等に捉える境地が、釈迦の修行によって達した「悟り」であるとされています。
- 投稿者: YASUTAKA SUGIURA
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